シグナル ヒストリー
1953年 6月 5日 浅見 滋賀県伊香郡高月町にて誕生。
   
1954年 5月 27日 田村 滋賀県彦根市にて誕生。
   
1956年 2月 3日 住出 京都府舞鶴市にて誕生。
   
1956年11月 19日 稲垣 大阪府門真市にて誕生。
   
1973年 2月 当時19歳の浅見が 田村、牧野とアマチュア・グループ “シグナル” を結成。
  彦根を中心に活動を開始。
   
1973年 7月 早くも京都に “シグナル” の名が知られ、活動場所が京都に拡がる。
   
1973年11月 ベース担当の牧野がグループを離れ、シグナル2名で活動を続ける。
   
1974年 2月 大丸百貨店に勤務していた音楽好きの住出に、浅見が参加を呼びかける。
  住出は高校時代 KBSの “アクション・ヤング大丸” という番組で
  フォーク・グループの年間チャンピオンになった実力を持つ。
  このグループは高校卒業後、自費でアルバムも制作していたとのこと。
   
1974年 3月 住出 2月いっぱいで仕事を辞め、シグナルに参加。
  シグナルは 3人編成でプロを目ざしスタートする。
   
1975年 9月 ポリドールからあさみ、田村、住出の3人でレコード・デビュー。
  デビュー曲の「20歳のめぐり逢い」は50万枚を超えるビッグ・ヒットとなり、
  一躍全国的にもその名は知れ渡る。
   
1976年 3月 ファースト・アルバム『淋しがりやのあなたへ』発売。
   
1976年 6月 田村がスタッフに転向。彦根にてお別れコンサートを開く。 シグナル再び2名で活動。
   
1976年 7月 セカンド・シングル「哀しみのプラットホーム」発売。
   
1976年10月 新メンバーとしてベース担当の稲垣が加入し、3人で再スタートをきる。
  稲垣は 高校卒業後、進学も就職もせず、スナックやホストクラブでアルバイトをしていた。
  ベーシストを探しているバンドがあるとの友人の友人からの紹介により、東京は渋谷にあった
  イフ・ミュージックを訪問。そのバンドというのがシグナルのことだった。
   
1976年11月 セカンド・アルバム『あなたのぺージ...』発売。
  学園祭、コンサート・ツアーを通じて、各地で人気急上昇。めきめきと実力を蓄える。
   
1977年 2月 サード・シングル「生きがい」発売。ファンの要望に応え、シングル・カット。
   
1977年 7月 4thシングル「さよなら my Love」発売。
   
1978年 2月 5thシングル「黄昏のあらし」発売。
  軽快でポップなサウンドに戸惑う人も多かったが、それ以上に新しいファンをつかみヒット。
   
1978年 3月 サード・アルバム『デイ・ドリームス』発売。
  あさみ、住出、稲垣の それぞれの音楽性が相互にぶつかりあい、その結果として生み出された
  新たなシグナルのサウンドは非常に完成度の高いものとなり、各方面から高い評価を受ける。
  この頃より、徐々にシグナルのイメージが、大人のイメージへと変貌。
   
1978年 8月 6thシングル「ためらいに縁を切れ」発売。
  サウンドの変化とともに、シグナルのステージも急激に変化する。
  内容的にもより密度の濃い展開がなされ、各地区のコンサートで絶賛をあびる。
  学園祭への出演依頼も群を抜いて多く、全国各地を飛びまわる。
   
1979年 1月 7thシングル「雪のひとひら」発売。
   
1979年 4月 4thアルバム『トリプル・マインド』発売。
   
1979年 5月 8thシングル「B.G.Mはため息で」発売。
   
1979年11月 9thシングル「ウッドストックを超えて」、5thアルバム『FRIENDSHIP』発売。
  1979年、3枚のシングル、2枚のアルバムをリリース。
  レコーディングの合間をぬって、LIVE活動にもつねに全力投球。
  年間200本近いコンサートを消化する。
   
1980年 3月 10thシングル「ほほえみ」発売。
   
1980年 5月 6thアルバム『シグナル』発売。
   
1981年 4月 ポリスターに移籍。
   
1981年 8月 ポリスター移籍第1弾シングル「蒼い影」発売。
   
1981年 9月 7thアルバム『パッシング・シャワー』発売。
  1年半に及ぶレコード・リリースのブランクの間に、シグナルは大人の感触をも歌えるシンガーに
  成長する。  レコーディング途中で、あさみが入院するというアクシデントに見舞われたが、
  爽やかなハーモニーに、さらに洗練さを加えた シグナルならではのポップスを完成させる。
   
1982年 1月 12thシングル「愛の終りに」発売。
   
1982年 5月 18〜20日新宿ルイードにて3日間連続コンサート。
   
1982年 6月 13thシングル「夏のV.T.R.」発売。
  新宿ルイード、大阪バナナホールを拠点にマンスリーでLIVE活動を続け、サウンドの幅を広げる。
   
1982年10月 26〜28日大阪バナナホールにて3日間連続コンサート。
   
1983年 9月 14thシングル「Julia」、
  1975年のデビューから、8年間の活動を集大成したベスト・アルバム『PRESENTS 75-83』発売。
   
1983年12月 15日新宿ルイードで、24日大阪バナナホールで、シグナルとしての最後のLIVE。
   
1984年 1月 アリスの活動停止後、ソロ活動を行ってきた堀内孝雄と正式に合体。
  “ケインズ” としてレコーディングに入る。
   
1984年 4月 “堀内孝雄&ケインズ” としてシングル「逆光線」発売。
   
1984年 5月 “堀内孝雄&ケインズ” としてアルバム『CANES〜On The Same Road』発売。
   
1984年10月 “堀内孝雄&ケインズ” として2枚目のシングル「センチメンタルウインド〜感傷風〜」発売。
   
1985年10月 未発売曲4曲を含むシグナル名義の編集盤『LAST FILE』発売。
   
1990年 7月 編集盤CD『ベスト・オブ・ベスト〈20歳のめぐり逢い〉』発売。
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